
心が硬くなる職場で、“あわい”を取り戻す
産業保健の現場で働いていると、「白か黒か」「正解か不正解か」「100か0か」という極端な思考に苦しむ従業員に出会うことが多い。仕事のプレッシャー、評価への不安、周囲との比較。こうした環境の中で、人は自分の心を“型にはめよう”とし、その結果、心が硬くなり、身動きが取れなくなる。そんなときに出逢ったのが、能楽師・安田登さんの語る 「あわい」という概念だった。
◆あわいとは、揺らぎの中にある「動的な安定」
あわいとは、自己と他者、時間と空間、異なる価値観が重なり合う界隈。はっきり分けられない曖昧な領域であり、揺らぎ続ける場所。不安定なのに、なぜか安定している。この“動的な安定”こそが、心の柔らかさを取り戻す鍵になる。
職場では、異なる立場・価値観・感情が常に交差する。その瞬間は摩擦ではなく、本来は 混ざり合い=創造の場 である。
◆白黒思考は「あわい」を拒否した心の硬直
メンタルヘルス不調者の多くは、曖昧さを許容できず、境界に立つことを怖がる。しかし、職場の課題はほとんどがグレーであり、状況によって白も黒も揺らぐ。つまり、白黒思考は 心があわいを失った状態といえる。
◆日本文化は「あわい」を生きてきた
日本は本来、「和=異質を排除せず、響き合わせる」文化を育んできた。迷い、揺らぎ、ためらいを抱えながら、曖昧な境界の中で生きる力を持っていた。この心のしなやかさは、産業保健の現場でも大きなヒントになる。
◆あわいは、心の三層をつなぐ「入口」
安田さんは、日本の心には三層あると語る。
1. こころ(表層の心);日常の感情・思考・判断。ストレスで最初に硬くなる層。
2. おもひ(心を動かす作用);こころを生み出す“動き”。その中心が こひ(乞ひ)=他者へ開く力。
3. 心(しん):言語以前の深層。芯(しん)であり、神(しん)にも通じる、一瞬で伝わる心の奥底。
この三層は、あわいを通ることで深まっていく。こころは、あわいを通らないとほどけない。こひ(乞ひ)は、あわいを開く力。心(しん)は、あわいの奥で顕れる。つまり、あわいは心の深層へ降りていくための道であり、心の硬直をほぐすための“心理的な余白”である。
◆産業保健の現場で「あわい」がもたらす効果
職場の支援者が「あわい」を理解すると、従業員の心の回復を助ける具体的な力になる。
1. 境界に立つ勇気を育てる;曖昧さ・揺らぎ・違和感を排除せず、「わからないまま、そこにいていい」と伝えられる。
2. 身体感覚を取り戻す;思考が暴走しているとき、身体を使った介入(歩く、呼吸、環境の変化)が効果を発揮する。
3. 異質との響き合いを促す:他者と無理に同じにならなくていい。違いを排除せず、響き合うことで関係性が回復する。これは、親鸞の「宮商和して自然なり」──不協和音さえ自然に和する心の在り方 にも通じる。
産業保健の現場では、従業員が自分の心を型にはめ、その型の中で苦しんでいる姿をよく見る。そんなときこそ、あわい=曖昧で揺らぎのある余白を取り戻すことが重要ではないか。産業保健の現場にこそ、この “あわいの力” が必要なのだと感じている。それが、心の深層へ向かう入口を開き、回復のプロセスをそっと支える。
2026年8月
理事 濵田 千雅



















